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全てはメーデーにあり!男の無神経横溢映画「夜の河」 [映画レビュー※ネタバレ注意]

吉村公三郎監督山本富士子主演「夜の河」(1956年)を見る。 見る前は「単なるラブロマンス/紅涙絞るメロドラマなんだろうな」とたいして期待もせんかったんですが、あにはからんや。これが大違い。かなりの怪作でございました。
ストーリーは、京都が舞台。臈纈染めを営む店に生まれ、職人である父(東野英治郎)を手伝うきわ(山本富士子)。彼女を崇拝する画学生岡本を相手するのがせいぜいで、見合い話も断る娘が婚期を逃しつつあることを父は気にしているが、職人が「労働基準法」などと言い出してやめる状況では、娘に頼らざるを得ない。きわはろうけつ染めの営業に出向いた先で、言い寄る仲買人近江屋(小沢栄太郎。絶品!)をうまくあしらいながら、様々な店へ自分たちの品を売り込む事に成功する。その帰り道、ショウジョウバエの染色体研究をしている阪大教授竹村(まったく精彩に欠く上原謙)とその娘と知り合う。そのあと竹村がきわの家を訪れたり、きわが竹村の研究室を訪れたりしながら交流が続く。きわの店は近江屋の紹介で東京に進出するがそれとセットに二人で旅館に泊まる事を要求される。きわはからくも逃げるがそのあと宴席で近江屋にひどい侮辱を受ける。悔しさいっぱいに京の街を彷徨うと竹村に遭遇。竹村は岡山の大学へうつる、という。突然の雨に降られた二人は、きわの幼なじみが経営する待合で初めて一夜を過ごすのだった。きわは戸惑いながらも竹村との付き合いを続けるが、きわを思慕する画学生岡本は「そんなのは不純だ」と彼女を詰る。竹村の娘がきわの店に現れ、自分の母親が病気であり長くはないかもしれない、と告げる。竹村ときわは白浜に旅行する。そこへ竹村の妻の病状が悪化した知らせがはいる。自分が彼女の死去を待っているような気持ちになったきわは一人岸壁に立つ。竹村はその傍に寄り添い「もうすぐ…」と告げるのだった。やがて竹村の妻は死ぬ。岡本は体を壊し田舎に帰る。岡本とのやりとりの中できわにある決意が浮かぶ。彼女からのたよりが途絶えたのを心配してやってきた竹村にきわは別れを告げる。労働基準法云々と言ってやめた職人が彼女の店に戻ってきた。職人と二人でメーデーの行進を見守るきわの心はいつになく晴れやかだった…。

こんな感じです。ストーリーだけ見ると松竹大船調というかまあそんな具合なんですが、出てくる人出てくる人、みんな無神経ないやな奴ばっかりで基本的に感情移入しづらい作品に仕上がってます。例えばきわの父親も店の経営からなにから娘に任せっぱなしのくせに「奥さん死んだんだからこれで縁付ける」というようなアリサマだし、きわの妹にしても「縁付いてくれたらこっちにも援助してくれるでしょ?」と打算アリアリ。竹村の娘も父親の不倫を知っていながらきわを値踏みしているような感じだし、彼女の事を本当の意味で思いやってるのは画学生岡本(抽象画を描くという設定で名前が岡本五郎っていうのもなんか舐めてんなとは思いますが)くらいというテイタラク。 山本富士子を狙う近江屋もお前の品よりお前にしか興味ないといわんばかりのセクハラ三昧で、挙げ句にアテが外れると、染め物組合での宴席上でありながら、きわを罵倒しまくる。これが一応コミカルに描かれてはいるものの、居合わせたお偉いさんが怒鳴りつけたりといったカタルシスを誘うシーンが一切なく、ただきわが退席して終了なので、後味悪いまま。まあしかしこの辺はわかりやすくてまだいいわけですが、問題はロマンスのお相手、上原謙。 上原謙は基本大根演技な人なんですが、年食ってかなり精彩に欠ける状態でそれなので、思わず「なんでこいつをチョイスしたの?」と口に出かかりましたわい。あんなしょぼくれたジジイに惚れる意味が分からんのだけど、たぶん「それも含めての」キャスティングなんだろうなと推測。男の無神経さを(無意識的に)よく表現していました。初セックルシーンの後、山本富士子が「こどもがうまれても、わたしひとりのことにして、育てます」と突然のシングルマザー宣言(この言葉によって彼女が処女だったことを匂わせる)をいたすと、眉根にしわ寄せて思いっきり「え”!?」とつぶやく。そして決定的なことに触れない/いわないまま、「もうすぐ…」だのと無神経極まりないことをいう。そう、上原謙は山本富士子に別に言い寄らないんですよ!煮え切らないまま状況に流されました的な態度を崩さない。男のずるさ全開なんですな。そりゃ山本富士子じゃなくても愛想つかすってなもんで。 山本富士子はもうこの時点(1956年)で結構太り始めてて、昔は綺麗だったけど今はまあ面影があるわなあというような生活感がよくでてました。京都育ちを生かした京都弁も違和感無く、初期の大根感が払拭されてますた。悲恋によよと泣き崩れるよりは、一人たたずみ、えいやあと染め物を絞り上げる姿が似合う。そういう意味では新時代の、ひとつの象徴的な姿かもしれない。 映画全体で見ても吉村公三郎初カラーだけあって、かなり実験的。レストランで竹村ときわが会話するシーンをテーブルに飾られている花のカットバックであらわしたり、二人の初セックルシーンを照明を落とし、影絵のような状態で表現したり、とオモシロいことをやってます。しかし度肝を抜かれたのはなんといってもラスト。まさかメーデー見物シーンで終わるとは。一応伏線はあって、物語の中盤で「メーデーやってますよ!」と職人に声をかけられたきわは「そんな子どもっぽい」と一蹴するんだけど、ラストは気ぜわしく突っかけを脱ぎ捨てるようにして二階に上がり、職人と二人、食い入るように見ているところでジ・エンド。冒頭で唐突に職人が「労働基準法に則してない」ときわの店を詰るシーンがあったりと、なんでこんなに「ヒダリ」っぽく作ったのか今ひとつわからないんだけど、「近代化」と女性の自立を表現したのかなあとぼんやりと想像しました。 見た後、一緒に行った人と「溝口なら、小津なら、木下、あるいは成瀬ならどうこのストーリーを表現したか」という話題で盛り上がった。傑作とは言い難いんだけど、なんか心に引っかかるフシギな映画でございました。

夜の河 [DVD]

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2009年みた映画 [映画レビュー※ネタバレ注意]

mishima(途中)
シン・シティ    
戦国野郎
天国と地獄     ○
ノーカントリー ○    
シャイン・ア・ライト ○
mishima    ○
ああ爆弾    ○
12人の優しい日本人 ○
トラ!トラ!トラ! 
ホットファズ    ○
狂い咲きサンダーロード
異常性愛記録ハレンチ    ○
ワイルド・パーティ    ○
シト新生(エヴァ劇場版part1)
まごころを、君に。(エヴァ劇場版part2)    
女囚さそり けもの部屋    
ツィゴイネルワイゼン ○
プラン9フロムアウタースペース    
宇宙人東京にあらわる    
アエリータ ○
火を噴く惑星 ○
不良番長 一攫千金    
アラビアのロレンス/完全版 ○
ゴッドファーザー
ヘルボーイ    
将軍家光の乱心 激突
スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐    
インディー・ジョーンズ/クリスタルスカルの王国    
不良番長 やらずぶったくり ○
アーリャマーン EPISODE I 帝国の勇者    
新世紀エヴァンゲリオン NEON GENESIS EVANGELION Vol. 10 Air/まごころを、君に    
ベン・ハー 
チームバチスタの栄光    
私たちは忘れない
仮面の宿命 美しき裸天使
ウォッチメン ○    
非情学園ワル    
日本暗殺秘録 ○
レッドクリフ1    
裁かれる越前守    
グラントリノ ○
ミルク    ○
奇談     
ファンタスティック・フォー:銀河の危機
バーン・アフター・リーディング    ○
吸血鬼ゴケミドロ
12人の怒れる男
悦楽共犯者    
オテサーネク ○
シュヴァルツェヴァルト氏とエドガル氏の最後のトリック
J.S.バッハ G線上の幻想    
庭園    
ジャバウォッキー
家での静かな一週間    
オトラントの城    
石のゲーム
フローラ    
ワイズマンとのピクニック    
スターリン主義の死
アナザー・カインド・オブ・ラブ    
フード    
肉片の恋
プラハからのものがたり    
ダークナイト    
スラムドッグ・ミリオネア
機動戦士ガンダム 逆襲のシャア     
はじめに目ありき
ティラミス ○
チェ 28歳の革命 ○
チェ 39歳別れの手紙 ○    
チョコレートファイター
復讐者に憐れみを     ○
トランスフォーマー    
ヱヴァンゲリオン序
忍者武芸帳(途中)    
ウンタマギルー    
幕末太陽傳 ○
嗚呼 満蒙開拓団     ○
地獄(神代版)
一条さゆり 濡れた欲情 ○
御用牙2 かみそり半蔵地獄責め    
チェイサー     ○
赤い髪の女 ○
青春の蹉跌    
トランスフォーマー リベンジ    
嗚呼!おんなたち猥歌 ○
アフリカの光    
ニッポン無責任時代    ○
親切なクムジャさん
三匹の侍    ○
銭ゲバ (鈴木いづみの演技している姿が見られる貴重な映画)
0課の女 赤い手錠 ○
子連れ狼 三途の川の乳母車 ○
瞳の中の訪問者
蛇娘と白髪魔
ボラット    ○
ファイブ・イージー・ピーセス    
イージー・ライダー
美代子阿佐ヶ谷気分    
屋根裏のポムネンカ    ○
ダウト ○
その土曜日、7時58分 ○    
ダイアナの選択    
BOY A ○
修羅雪姫 怨み恋歌 ○    
愛の陽炎    
巨人と玩具 ○
西鶴一代女(途中)    
浪華悲歌    ○
地獄(中川信夫)
にっぽん昆虫記 ○    
赤い殺意    ○
透明人間
結婚相談    ○
一寸法師    
アマゾン無宿 世紀の大魔王
昆虫大戦争 ○(バカ映画として)
五月みどりのかまきり夫人の告白    
ウォッチメン
300(スリーハンドレッド)    
少年    ○
絞死刑 ○
博徒七人 ○    
8 1/2     ○
愛の亡霊 ○(吉行和子がとても40過ぎとは思えない凄まじさ/どうやったらあそこまでキープできるのか教えてもらいたい!!)
愛のコリーダ ○    
やくざ刑罰史 私刑<リンチ>    
女地獄 森は濡れた
錆びた炎    
温泉スッポン芸者
温泉みみず芸者
ルートヴィヒ ○
人情紙風船     ○
血まみれギャングママ
帝都物語    
ギルダ
東京ジョー
ウルヴァリン ○
惑星大戦争     ○
自然の歴史(シュヴァンクマイエル)
部屋(シュヴァンクマイエル)    
地下室の怪(シュヴァンクマイエル)    
陥し穴と振り子(シュヴァンクマイエル)
男のゲーム(シュヴァンクマイエル)    
闇・光・闇(シュヴァンクマイエル)    
対話の可能性(シュヴァンクマイエル)
ダークナイト    
裸の大将    
陸軍 ○
パットとマット/遠出    
善良な兵士シュヴェイク2/列車騒動の巻    
ロマンス ○
飲みすぎた一杯    ○
ジャバウォッキー
ぼくらと遊ぼう!/冬眠の話
必勝歌    
網走番外地    
飢餓海峡 ○
特攻大作戦     ○
狼と豚と人間    
仁義なき戦い
仁義なき戦い広島死闘編    
仁義なき戦い代理戦争    
仁義なき戦い頂上作戦
仁義なき戦い完結編    
「パットとマット/運動」    
「灯台守」
「電子頭脳おばあさん」    
「ナイトエンジェル」    
「レオナルドの日記」
「ぼくらと遊ぼう!/水辺の話」    
エル・スール ○
ミツバチのささやき ○
レスラー    ○
戦略大作戦     ○
母なる証明 ○
本日またまた休診なり(途中)    
温泉スッポン芸者
南京 引き裂かれた記憶
トルコ渡り鳥 ○
イングロリアス・バスターズ ○
リトル・アンブレラ
ネコのお絵描き    
けしのみ太郎 病気ってどうやってなおすの? ○(これは本当にすごいよ)    
イモムシくんは大スター
りんごのお姫様    
新宿インシデント(途中)    
台湾人生 ○
鴛鴦歌合戦     ○
君も出世ができる
ネコの言葉
ネコの学校    
扉をたたく人 ○
湖のほとりで
棺の家    
コストニツェ    
エトセトラ
アッシャー家の崩壊    
レオナルドの日記
ドン・ファン

無事200本超えました。(とはいえ、クロヒコ氏はもっと見てるから負けた感がしますわ。370本か。すげーよやつは。)

2009年の大きな特徴として「あんまりはずれがなかった」ということがあげられる。金返せ!的な憤りはあまり感じなかった。(今年見た映画じゃないけど「南京の真実」は金払ってないくせに金返せ!と思えるフシギな映画です)

初見の、よかったものに○をつけてます。そういうわけで、温泉スッポン芸者とか「お前はいったい何度みているんだ!?」的なのはオススメだけど○なしにしています。ダークナイトとかわかりきってるだろ?あとシュヴァンクマイエルもすべてオススメなので、こちらも○はなし。長編以外は。

あまり知られてないだろうからあえて触れますが、ほとんど、というか全く恋愛映画を見ない私が感動したのが「ティラミス」。生き方と恋愛がうまく絡んでいて、オランダ映画すごいなと思った。おとなな映画で、ヨーロッパ的成熟を感じる。日本とは大違い。

「大違い」つながりでいえば、すごいね韓国映画。大昔「西便制」を見て以降はキム・ギドクの映画ぐらいしか見てなかった私にとって、「チェイサー」や「母なる証明」などはかなりの衝撃でした。つか脚本のみっちりさと構築されたロジカルさは日本映画にはついぞ欠けているもので、ひたすら羨ましいと思いましたよ。邦画は本当に救われないね。((ヤマトの実写版予告編見たけどCGその他のチープさでは映画「デビルマン」と同じくらいだし。))同じ連続殺人でも韓国が映画化すると「チェイサー」となり、日本が映画化すると「丑三つの村」になる、なんてことを思ったりしましたわ。あとは役者の身体性からくる存在感も違っているけど、その辺に言及すると長くなるな…。

さて2010年もしょっぱなにみた「キャピタリズム」がかなりおもしろかったので、きっといけるんじゃないかと。


「イングロリアス・バスターズ」徹底的に娯楽でありながら目はマジだ [映画レビュー※ネタバレ注意]

まず最初に断言するけど、これは傑作です。

ストーリーは、ナチスに家族を殺されたユダヤ人の少女の復讐譚とアメリカの特殊秘密部隊「イングロリアス・バスターズ」のテロ工作がフランスの映画館で交差し、集約される、という実にシンプルな物語なんだけど、一筋縄でいきそうでいっていかないというあたりが実に心憎い。

事前に映画評論家町山智浩さんのイングロリアス・バスターズ元ネタばらしイベント(後述参照)に参加していたせいか「アントーニオ・マルゲリッティ」で爆笑することができたんだけど(ちなみにこの「アントニオ・マルゲリッティ」というのはカルト映画「地獄の謝肉祭」の監督アンソニー・M・ドーソンの本名です)そういう細かいマニア心をくすぐるネタから、あのシーンこのシーン、バックに流れる音楽といいことごとくよそから引っ張ってきたもの(例えば冒頭ブラッド・ピット扮する「イングロリアス・バスターズ」を率いるレイン中尉がバスターズの面々を前に演説するシーンはまんま「特攻大作戦」のそれだし)でありながら映画自体は完膚なきまでにオリジナルであるというこれこそがまさにタランティーノの真骨頂といえるんじゃないだろうか。(ちなみに元ネタ知りたい人は映画秘宝の“「イングロリアス・バスターズ」映画大作戦!”を買うとよろし。タランティーノという人があきれるほどオリジナリティ皆無の人であることがよくわかると思う。そしてそれは決定的に「アリ」なんだということも)そもそもフツーはそこが映画のレゾンデートルだろという「テーマ曲」すらも「遥かなるアラモ」なんだし。

つまり「面白くて当たり前」なのである。昔の映画のカウパーダダ漏れシーンを寄せ集めてきたわけだから。マニアであればこそ元ネタ探しに躍起になるし、知らなければシビレルシーンてんこ盛りなんだし。とはいえ、これが単なるパクりとならないのが「物語の骨子がオリジナル」であればこそ。(そのあたり方法論がフリッパーズ・ギターと似ているんだよね。)パクリ映画は「骨子が同じで、シーンや演出、構図でオリジナリティをだそうとする」(だからたいていつまらない)ものなんだけど、それはなぜかというと監督の腕を見せ所は「シーンや演出、構図」であるから。物語は同じだけど見せ方が違うというのはかなり昔から免罪符で用いられている。(例:デ・パルマとか)ところがタランティーノの場合は臆面もなく「あ、このシーンはあの映画のここからもってきちゃおう」とやってしまう。手法が逆なのだ。まさに手段のために目的が構築されたような映画なんだけど、今回はキルビルのように破綻まっしぐらとはいかずいい意味で生かされている。(たぶんイーライ・ロスのおかげだと思う)「フィルムが煙に映写されて顔が生き物のように動くシーン」なんて、凄艶で素晴らしい。いちいちゲーリングやボルマンが画面に登場するたび矢印がでて「ゲーリング」と注釈がついたりするあたりとか、チャーチルやヒットラーがあんまり似てない(のでチャーチルなんか認識するまでに時間がかかり気づいたときにはもう登場シーンが終わっていた)ところやゲストアクターもそれとすぐにわからないように配置されている(日本の市川なんとかみたいに「ゲストアクターは必ず大写し3秒静止」を実践するような野暮さは皆無。無線会話の相手がハーベイ・カルテルだったりマンドレイク大佐を意識したと思しき将軍役のマイク・マイヤーズとか実にさりげない)ところなんかたまらない。

このように徹底的に娯楽エッセンスを詰め込んだ作品でありながら、根底においてこの作品は「マジ」である。(先日鈴木則文監督のトークショーに参加した際に監督がおっしゃってた「馬鹿な作品こそ根底に真面目なテーマを抱えてないとダメだ」的な言葉を思い出した。鈴木則文監督の「温泉スッポン芸者」は実は監督いわく「反戦映画」だそうである。私もそう思う)「ユダヤの怨嗟」があるからこそ、映画としては「反則」の山場であっても、喝采を送ってしまうのだ。1944年にああだったら。それは誰もが思うことであって、そして映画で実現されたことは(プロパガンダ映画を除いては)ほとんどなかったんだけど、ありうべき姿ありうべき未来の姿として夢想しなかった人間はいないだろう。(当の、ドイツ人でさえも)であればこそ、あの「山場」がカタルシスをもって迎えられる。こうであったらを実現しなくてなにが映画だ、とすら私は断言できる。この映画は一見「ドイツ人の複雑な心境」について考慮してないといえるかもしれない。だがこれは「ユダヤの怨嗟」が生んだ「ファンタジー」なのだ。おそらくここまで「ユダヤの怨嗟」に真っ向から四つに組んで全面解放した「娯楽作品」ってなかったと思う。ナチ野郎の頭をバットでぶん殴りたいと思わなかったユダヤ人はそう多くないだろう。やったら面白いんじゃね?じゃあ実現させようぜ。そんなタランティーノの「徹底した娯楽傾向」と「ユダヤの怨嗟」との幸福な結婚といえるんじゃないか。(そして結局のところ「暴力装置としての役割」でしかない「戦争」さらには「人種間の対立構造」を抉り出すことに結果として成功している。)

この辺も本人曰く「タランティーノのブレーン」(町山さん談)として映画に出演(異名「ユダヤの熊」としてバットでドイツ兵士を殴り殺すユダヤ人役)しただけではなく、映画をまとめる際のアイデアなどもだしたというイーライ・ロス(確か家族を強制収容所で亡くしているユダヤ系アメリカ人)の力も大きいという。ちなみにこの殴り殺す際に使うバット、映画本編でよくみるとなにやら書き込みがされているが、本当は「ナチ狩り」討伐隊に選ばれたことを喜んだ近所の人たちがイーライ・ロスに「これでナチ野郎の頭を場外ホームランしてね!」と贈り、集まってみんなで寄せ書きをするという「心温まる」シーンがあったそうだが、編集上カットされたという。大変残念だ。ソフト化する際は是非「完全版」としてこのシーンも入れて欲しいと思う。(マギー・チャンがヒロインであるフランス人少女の叔母役で出演し、彼女に映画館を譲り渡して死ぬシーンはどう考えてもイカレすぎなのでいれないほうがいいと思うけど。中国人がフランス人の叔母って訳がわからん)

それにしても「ユダヤハンター」ハンス・ランダSS大佐がすこぶる西村晃的で非常によかった。後半なんて西村晃にしか見えなかったし。細かく配役を見ていくと4年間で異常成長を遂げたとしか思えないヒロイン(冒頭どう多く見積もっても16歳ぐらいにしか見えないのに、再登場したときは25歳ぐらいだろあれ。レジスタンスとして隠れ住む生活は人を老け込ませるのかもしれないな)とか映写技師どうなったんだ?とか矛盾点はいろいろあるんだけど、終わりよければ総てよし。最後までブラックジョークで貫徹し、変なヒューマニズムを発露させないあたりがとても心地よかった。シンメトリーに配置された登場人物なんかについても触れたかったけど、それはクロヒコ氏が書いているんで省略。是非劇場で見てください。

「イングロリアス・バスターズ」前夜祭のルポ(リンク先九龍彦氏)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1312808127&owner_id=7929842

映画秘宝の特集号に上記イベントの内容が載っているので興味ある方は是非。
・「イングロリアス・バスターズ」映画大作戦!
http://www.yosensha.co.jp/book/b51430.html

映画「赫い髪の女」性と愛の臨界点 [映画レビュー※ネタバレ注意]

赫い髪の女 [DVD]

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  • 出版社/メーカー: 日活
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「人間ってかなしいね。セックスしなきゃならないからだよ」というのはジョージ秋山の名台詞のひとつだけれども、その言葉を忠実に具象化したような映画である。

ドカタあがりのダンプ運転手である男(石橋蓮司)はある雨の日に赤い髪をした女(宮下順子)をひろう。一発やって捨てるつもりが女は男の狭い四畳半?にいついてしまう。来る日も来る日もただひたすら体をあわせ続ける。女がどういう素性なのかわからないし、聞かない。ただ時折亭主の存在をほのめかすだけであった。男の姉に会わせた時「どこそこで見たような気がする」といわれ女は酷く泣いた。女の存在をどこかこそばゆいような気持ちで肯定し始めた頃、以前一緒に少女(亜湖)を輪姦した舎弟のように可愛がっていた若い男(阿藤快)からその時の行為で少女が妊娠したこととどちらの子かわからないこと、そしてその少女と一緒になりたいということを告げられる。若い奴は誰の子かわからない苛立ちからお前の女をやらせろと迫る。見栄と罪悪感から男は受け入れる。男は街をさまよい街の女を抱き、誰もいない部屋に戻って猥歌を歌いながら自慰をする。そこへ現れる女。若い男と少女は駆け落ちをし、男と女はまたいつものようにセックスを繰り返すのだった。

季節がいつ頃かわからないけれども、よく雨が降っている。窓を締め切り、狭い部屋の中でたるむ一歩手前の男と腐りはじめた洋ナシみたいな女がひたすらセックスする。女が押し倒すように、あるいは男がのしかかるように。セックスばっかりしているんだけれどもそのシーンは毎回違うように工夫されている。そこにかぶる憂歌団の曲。物憂い閉塞感の中で「アレしようよ」というかったるい声が響く。70年代の残照のような「赫い髪の女」はそういう映画です。

ドカタ役の石橋蓮司がこれまた非常に板についていていいし、例によって例のごとく阿藤快と殴りあう(私がみる石橋蓮司出演映画ってたいてい誰かとツマランことで殴り合っている。丑三つの村で「夜這いしたやろー」「昼間もきとったわ!」というしょうもない理由で殴りあうのとか)のとか、阿藤快と女を共有することで友情を確かめるとか(大笑いしながらお互いの股間をまさぐりあって「兄弟じゃないか」とか言い合うシーンはバカだがほほえましいと思う)山谷初男と太ったおばちゃんのソープマットプレイなんかが息抜き的にソーニューされるも、ほぼ全編にわたって蓮司と順子の絡みが延々と続く。宮下順子のキャラ造詣が見事で、男の股間を枕にして寝たり、さびしいからといって男のトランクスをはいて寝たり、話すことといえば「してぇ」とかそんなんばっかりの即席ラーメンもロクに作れないような動物的女丸出しで、ちょっと「ベティブルー」の「ベティ」を連想したりしました。男からみた「かわいい女」を具現化したような存在。宮下順子が阿藤快に犯されるシーンも最初は抵抗しながらも受け入れてしまうというのが「女ってのはそういうものだ」というよりもむしろ阿藤快に哀れみを感じて受け入れてしまう「宮下順子の母性」みたいな捉え方をしているのも興味深い。そういう「女神」みたいな女を手にいれながらも、足蹴にしたり可愛さあまって憎さ百倍とばかりに「亭主に仕込まれたんかー」と責め続ける有様も、これまたかわいい男なんだな。劇中のほとんどが男の部屋と仕事現場と廃船という限定された空間で展開されており閉塞感どん詰まり感が横溢している。ベッドの上でムードたっぷり(死語)な官能シーンなんてのは存在せず、たいていは男の猥雑な部屋か寒々しい廃船の中で性行為が行われている。こういう風に生活感あふれる性行為を描きながら生活臭が微妙に漂わないので、濃密かつ純度の高い性愛劇となっている。汚い印象がないので品がよい気すらする。ゆえに後味がよい。出てくる人間がことごとくちんぽ!勃起!まんこにin!という直裁的ダメ人間という態様なんだけれども、そのダメ下降志向が非常に心地よいという神代のエッセンスが凝縮されたような作品だった。男は女にいれ、女は男をいれ、それ以外のなにがあるんだ?体とおせばそれでいいんだと啖呵きられているような清清しい映画である。

性行為を形而上学的に自意識過剰で捉えてしまう私からすればセックスなんてケッて感じで耽溺するなんてことはありえない事象のひとつなんですが(そもそも冷感症だし)、それでもここまで下半身と行動が直結しているというか、これほど淫している姿はうらやましいと素直に思う。からだをこすりあわせることでしか生を確認できないならば、ただそうし続けて、なにが悪いというのだ。好きな男に腰をすりつけていれば満足なんて、女冥利に尽きるではないか。わたしも、できるならばそうしたい。なにもかもから遠く離れてひたすらセックスに埋没してしまいたい。わたしにもいつかこんな瞬間が訪れるだろうかとふと思った。娼婦になれない女は、あとは母親になるしかないとはいえ、ねえ。

「復讐者に憐れみを」の簡易感想 [映画レビュー※ネタバレ注意]

とりあえず追記するかもしれないけど備忘録的に残しておく。

復讐者に憐れみを デラックス版 [DVD]

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  • 出版社/メーカー: ジェネオン エンタテインメント
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監督はオールドボーイのひと。復讐三部作の第一作目。まず感じるのは、構図が非常によい、ということ。画作りが上手い。私はオールドボーイみたときに、そのあまりに見事な、心地よいところで切り替わる編集に「日本映画オワタ」と思ったけれど、この作品では画作りで思いました。ワンカットでワンシーンで主人公が働く工場風景をおさえたりするシーンは誰かににてるけど思い出せない。思い出せないってことはオリジナルをうまく消化しているわけで、あんまり最近の駄目日本映画(亡国とかあのへんの)をみていると未消化のまま、ありていにいうとパクリだろそれと露骨に無自覚にもってきちゃうあたりに病巣の深さを感じたりするけれども、パク・チャヌク監督はちゃんとやってます。(たとえば写真家あがりの映画監督にありがちなんだけれどもワンカットごとはきれいなんだけど、それがつながらないってやつ。この作品はそういうことはない。つながりが実にスムーズ。また同じようなシーンが出てきてもちょとずつ細部を変えていたりしている)話の内容にはあえて触れません。できればみてほしいから。(後述するがかなり人を選ぶ作品だとは思うけれども。)罪が生まれる。復讐をする。その結果残されるものはなにか。そして逆説的に浮かびあがる「復讐」それ自体の意味。作品は特に声高に何かを主張する訳ではない。出来事をあるがままにうつしだす。実に淡々と。それをどう解釈するかはこちらにまかされている。だからこそ、のちのち体の底に残り続ける。(オールドボーイも未見なので断言はできないけど親切なクムジャさんも基本的には「復讐、そのこと自体の意味」を考える点では一貫して通底したテーマなんじゃないかと思った)これでもかの血糊で正直ちとつらいところもあるけれど、そうでもなくても胃の腑にぐっとくる場面が多い。なんとなくギリシャ悲劇を連想。血で血を贖うなんてつきなみなことを考えていました。最後のシーンで復讐者であった父親の手に聖痕がでたりするなど、反転されて殉教者になるところとか、おしまいまで手を抜かない作りである。音楽がフリージャズっぽいのもまたよい。(フリー好きなんだよね)総評としてはかなり面白い。より物語性を追求してテンポアップしたオールドボーイは万人向けとするならば、こちらは、しつこく考えるのが好きな人に向いているように思う。面白いけど、面白いと素直にいっていいかどうか迷う。しばらくは考え続けるだろう。重め。

映画「奇談」 [映画レビュー※ネタバレ注意]

奇談 プレミアム・エディション [DVD]

奇談 プレミアム・エディション [DVD]

  • 出版社/メーカー: ジェネオン エンタテインメント
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妖怪ハンター 地の巻 (集英社文庫)

妖怪ハンター 地の巻 (集英社文庫)

  • 作者: 諸星 大二郎
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2005/11/18
  • メディア: 文庫

諸星大二郎妖怪ハンターの傑作のひとつである「生命の木」を映画化したもの。諸星ファンとしてみたけれども、どーもねえ。

原作のストーリー展開は、ある学生が東北の隠れキリシタン伝説を知り、実際に訪れる。ところがその村では殺人事件が起こっており、ちょうど居合わせた稗田礼二郎が犯人と疑われながらも、その村で「はなれ」と呼ばれている地域とそこで起きた殺人事件に隠された秘密を解き明かす…というのが大まかな流れ。ひっじょーに面白いので(特に民俗学に興味がある人なら)興味をもった方はこんな説明で満足されることをよしとせずぜひぜひ原作(上記リンク先参照)を読んでほしい。

で、話は戻ってその映画化した「奇談」ですが。

まず「生命の木」だけじゃ尺が持たないからってよけいな「神隠し」エピソードを無理矢理絡ませる。これが蛇足。短髪+メガネ姿の阿部ちゃんが稗田かけらも肉薄してないのはベツモノとして許容することにしても、傍観者がどんどん加速度的に状況に巻き込まれていくからあの作品は面白いのであって、はなから主人公に事件を設定したら単なる謎解きでしかなく、そこに原作ほどの意外性を保持しえねえだろってのはわかりそうなものだけどな。で、中途半端に神隠しネタを膨らませるもんだから微妙に物語の整合性がとれなくなっているのもまたなんとも。しかもそれだけ煽った「神隠し」ネタだが、結局のところ「なんで?」への回答はナッシング。そりゃねーだろと画面のこちら側は脱力しまくり。

「生命の木」はどう考えてもエヴァンゲリオンに影響を与えているんだが(ていうか設定はまんまこれだよね?)ああいう形に昇華したエヴァに比べ、こちらはといえば、ダイナミックな妄想展開が実にちんまりとしてしまっていて、ラストの巨大な開放感に毛ほども近づけていない。そもそも善次サンのキメ台詞が「おらといっしょにぱらいそさ、いくんだー」になっているという…ってアンタ、原作がなぜ「ぱらいそさ、いくだ」なんだか理解してないんじゃねーかと。さんじゅわん様を白木みのる×3で押し切った強引さはほめたいが。見所がそこだけってのはどうよ。またこういう作品に神戸浩をつかうのはありきたりすぎてあくびがでそうだ。(そして全役者の中で彼だけが「わかってそう」なのも悲しい)

あとラストをいまさら「時をかける少女(旧版)」にするってのは本気で問いつめたかったが、そこで終わるのかと思いきやさらにまた蛇足で、主人公のモノローグで終わらせるほどの出来にはもうなにか言う気力はなくなります。(これ以上足をつけたしたらムカデになっちまいますよ。)しかも主人公は「なんで重太がパライソにいけなかったのか」理由がわからないときたよ。お前原作読んだのか?謎は謎のままでいいって根本敬先生をパクるな!

結局のところ諸星大二郎原作で「成功」してるのは「もののけ姫」だけということで、やっぱりこのひとの実写を作れるほど邦画には力がなかったのでした。まる。(これよりさらに酷いと噂の「妖怪ハンターヒルコ」はどうなんだろ…)


レッドクリフ1の出来があんまりだった件について [映画レビュー※ネタバレ注意]

ちょっと期待してみた「レッドクリフ1」がとてつもなくモッサリしていたので愕然のあまり思わず時代劇専門チャンネルに変えて「裁かれる越前守」(1962年制作 大映)なんてのを見てしまった。

江戸の街を強盗団が荒らしまわる。賊掃討に乗り出す大岡越前ではあったが、その強盗団が昔なじみ、そしてその情婦には昔の女、さらにはその女が産んだ実の娘までも捕縛することになり、大岡は苦悩する…というのが大まかなストーリー。単純明快ノーテンキな勧善懲悪ものだと思っていたらいきなりこんな濃厚というか重厚というかゴッテリした展開だったので非常に驚いた。誰のホンかとおもったら新藤兼人でした。どーりで。(監督は田中徳三)大岡越前守には長谷川一夫、吉宗は白塗り時代の勝新太郎、大岡の実の娘を演じるのは可憐な中村玉緒と、いかにも黄金時代の大映ですな。うちに苦悩をにじませた大岡をこの一年後に引退する長谷川一夫が大げさでもなく類型的でもなく、脂汗がたれるような緊張感で演じていた。こういう映画がある種システマチックに作られていたという事実に一番驚くのですけれども。

で、レッドクリフ。「裁かれる越前守」を見た後もう一度挑戦したけどやっぱりひどい。なにがひどいってアクションシーンのスピード感が「裁かれる越前守」のほうが優れているんだもの。50年前のに負けている時点でバレットタイムもへったくれもないってもんです。特に張飛が暴れまわるシーンはなにあれ?あほなおっさんが突進してるだけってどうよ?そのあとのシーンも最新技術を使って退屈の限界に挑戦しているようなもんで、テンポが悪いし編集の仕方もひたすらスピード感を磨耗することに熱心なので(ハイココデカネツカッテマスヨーミテクダサイネーというのはいい加減やめないか?)監督がジョン・ウーであることに対して本気で疑念を抱いた。ヅョン・ウーなんじゃないか?ちゃんと現場は確かめたのか?おい。

まあなんですか、たぶん三国志だったからいけなかったんだな。三国無双、いや無双orochiの映画化だったらよかったかも。てつはうどころか雑賀衆だしてバンバン撃ち合えば本調子になったのかも。観客もそっちのほうがみたかったんじゃないの?ただ単に私が見たいだけなんですが。

日本インターネット映画大賞2008外国語部門に応募します! [映画レビュー※ネタバレ注意]

今年も行われる「日本インターネット映画大賞」外国語部門に応募することにした。

2008年に観たベスト映画ともいえるので参考になる方がいれば幸い。

[作品賞投票ルール(抄)]

 ・選出作品は5本以上10本まで
 ・持ち点合計は30点
 ・1作品に投票できる最大は10点まで

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『 外国映画用投票フォーマット 』

【作品賞】(5本以上10本まで)
  「ダークナイト     」    7点
  「12人の怒れる男    」    4点
  「ブラインドネス    」    5点
  「ノーカントリー    」    7点
  「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」 6点
  「アイアンマン     」    1点

【コメント】
今年は洋画の豊作年だったと思う。特に「ダークナイト」と「ブラインドネス」と「ノーカントリー」「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」の4作品を映画館で観られたのは至福であった。映画は映画館で見るもんだと強く思い知らされる作品群でございました。


【監督賞】              作品名
   [ ジョエル&イーサン・コーエン] (「 ノーカントリー 」)
【コメント】
 ダークナイトと迷った上でこちらにしました!双方迷い甲斐のある作品ですが、やはりここはすばらしい演出力をもった作品に軍配を上げたい。(ダークナイトは個人の力量によるところも非常に大きいので)

【主演男優賞】
   [ ダニエル・デイ・ルイス  ] (「 ゼア・ウィル・ビー・ブラッド 」)
【コメント】
 アカデミー賞もゲットしましたが、まさに「こいつにやれねば誰にやる」というほどの演技力・憑依力。最後本気で殺そうとしているとしか思えなかったし…。

【主演女優賞】
   [ ジュリアン・ムーア    ] (「 ブラインドネス  」)
【コメント】
 ただ一人だけ目が見えるという難役をノーメイクに近い状態で演じきってました。慈母的な一面だけではなく多様な表現で原作の「医者の妻」へ血肉を与えてました。すばらしかった。

【助演男優賞】
   [ ヒース・レジャー     ] (「 ダークナイト  」)
【コメント】
 ブチキレ演技ができる人はハリウッドでも何人かいますけれども、ジョーカーという「人間」を単なる「ブチギレ」演技だけではなく、哲学的思想性を帯びた存在にまで昇華したのは、ヒース・レジャーの力量でしょう。惜しかった。ハビエル・バルデムはもうアカデミー賞とったからいいだろうってことで。

【助演女優賞】
   [ ケイト・ブランシェット  ] (「 アイム・ノット・ゼア 」)
【コメント】
 妙に似ているんだよなあ…。

【新人賞】
   [ 特になし         ] (「 特になし   」)
【コメント】
 特に思いつきませなんだ。新人とはいえない人ばかりが頭に浮かぶ。

【音楽賞】
  「 シャイン・ア・ライト 」
【コメント】
 ストーンズファンがこれを選ばずして何を選ぶ!とはいっても、誰が見てもいいものはいいと思うぜ。

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【勝手に○×賞】
   [ リヴ・タイラー   ] (「 インクレディブル・ハルク 」)
  「 顔がますます成長したで賞 」
【コメント】
 ハルクにでかくなり続ける顔で対抗したのか?と思うぐらい成長したリヴ・タイラー。DNAの濃さは母親が誰であれ無関係であるという父性遺伝の強烈さを証明し続けてください。
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 この内容(以下の投票を含む)をWEBに転載することに同意する。

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で、これまた超イマサラですが「mishima」が激面白いんですよ。 [映画レビュー※ネタバレ注意]

途中まで見たけどこれは割りと傑作。音楽と編集がすばらしいのだが(ルーカスの奥さんが編集やってんのかと思ったけどマイケル・チャンドラーで「アマデウス」の人だ)脚本もすばらしい。この物語は三島の小説「金閣寺」「鏡子の家」(の収編)「奔馬」の三作品を横軸にあの11/25の三島の行動と回想を縦軸で展開するという多重構造である。小説を映画化しているところは徹底的に舞台セットを用いてその虚構性をこれでもかと叩きつけるし、三島の行動については過去の回想を白黒にしたりとわかりやすく工夫している。
脳内の高揚を誘う音楽とともに緒形「三島」はほとんど口を一文字に結んで躍動する。三島と緒形拳じゃそもそもの顔の作りからして全然違うのだが、これが不思議と「三島」に見える。特にボディビルをはじめて以降はなにかが降りたかのように「見えないのに見える」のだ。

「金閣寺」については大映で映像化した際雷蔵にやらせたけれども、見た目がよく似ている坂東三津五郎(当時は八十助)が犯人役を演じている。これがまた巧い。力む奇形的な動きをよく表現しているのだが滑稽ではない。犯人の「友達」である足の悪い男役を佐藤浩市がやっていて、悪の魅力、コンプレックスを逆手に取り一種のトリックスターとなるあたりなどをぞくぞくするようなしぶとさでたまらない。ここでの「金閣」はミニチュアの金ぴかである。舞台装置のようなミニマルさがかえって「俗っぽさ」を表現している。琳派のような背景の中、主人公の前に絢爛たるミニチュア偽金閣がごうと迫りぱっくりと開くあたりの美しさは比類ない。短いが「金閣寺」という小説を映像化したものの中では最も優れているのではないだろうか。美術ともに。


超いまさらですが「ノーカントリー」の夢の意味についての覚書 [映画レビュー※ネタバレ注意]

以下ネタバレなんでそれでもいいという人だけ読んでください。

なにをしていたんだと一部からいわれそうですが、昨日ようやく「ノーカントリー」を見終えました。この映画は省略や象徴暗喩暗示が多いので一見するとわけわからん上に後味が悪い作品と言われると思うけれども、いやいやどうして非常に考えられた(そして後の解釈を観客に任すといういい意味でボールを投げているのも計算のうちなんだろうなということも含め)考え抜かれた作品だなと思いました。対比対比と繰り返しが多いのでわかりやすいともいえる。

対比のひとつは、価値観(ある意味自分の中のルール規範倫理)に固執する人が二人登場し、また現実(ルール)を「運命の力」によって変えようと挑む(一人は「変えられてしまった」のだけれども)人間もまた二人登場する。ルールに拘泥するのは必殺仕事人シガー(ハビエル・バルデム。彼の分厚い肉をかきわけるようにして笑う姿がたまりません)と保安官ベル(トミー・リー・ジョーンズ)で、「現実を変革」させられた(した)人間は金を横取りしたモス(ジョシュ・ブローリン)とベルの叔父の元保安官。運命を受け入れる女性と拒否をする女性。対立軸上にいる人間が現れるので捉えやすい。「運命はこのように扉をたたく」といった作曲家と呼応するようにいちいちシリンダーを吹っ飛ばすシガーとか象徴も多い。(このあたりについては明日もっと書く予定)

で、もっとも解釈が分かれるのが、ノーカントリーの最後でトミー・リー・ジョーンズが自分の見た夢の話をするところでしょうな。彼はふたつの夢を続けさまに見る。ひとつは若くして死んだ自分の親がその若いままの状態ででてくる、自分は父親から金をもらうがなくしてしまうという短い夢、ふたつめは雪道を歩いているとまた若いままの自分の親が顔を伏せながら自分の横を通り過ぎていく自分は毛布を巻いて雪道を歩き続けるがその先に父親が焚き火をして待っていてくれていると思うという夢だ。

最初の夢について考えたのは、この映画の主題ともかかわってくるけれども、この映画において金はひとつのルールであり災厄でもある。怪我をした男が少年からシャツを買うシーンが二度繰り返されるがある種それが象徴しているといえる。金の入ったケースをめぐって殺し合いが起きるというのがこの映画のストーリー展開だけれどもそのケースを手にした人間は必ず死ぬ(もしくはその暗示がされる)のがまたこの映画のセオリーでもある。金は災厄の象徴となってしまっている。「金」は古来「道具」であったがやがて「ルール」へと変わっていく。そこを踏まえて考えると、この映画は金が「ルール」から「災厄」へと変化していくその過渡期を描いているといえる。その象徴がモスとシガーで繰り返される子供からシャツを買うシーンである。大怪我したモスは道を歩いていた少年たちからシャツとビールを買う。そのとき飲みかけのビールを売りつけようとする少年を別な少年がたしなめる。その場面がシガーで再現される際はシャツを売りつけた少年たちは金をめぐって争いを起こす。この時点で「悪疫」となりそれが「伝染」していく様子が描かれているのではないか?「ルール」から「災厄」へ。これこそまさに「リング」ですな。そこでこの最初の夢について私はこう考えた。若くして死んだ父親が若いまま現れ、そして金を渡す、この金は「古き善き時代のルール」ではないかと。「若いままの父親」とは「古き善き時代」を表していると思う。アメリカにおいてアメリカを支えた中流階級は絶滅に追い込まれているのが現状だがその端緒を担ったといえるレーガノミックスがはじまったのが1980年代前半でありまさにこの映画の舞台設定の時期と同じである。受け取った「古き善き時代のルール」を彼は次代にひきつけずになくしてしまう。「この夢を先に見る」ことといい、非常に象徴的なヒントである。

もうひとつの夢は雪道を歩いているとその横を例の「若いままの父親」が顔を伏せて通り過ぎていくというものだ。(イエイツやフロストの詩はここではのけて解釈する)テキサスに雪が降るなんて有り得ないわけでそんな有り得ない状況を毛布一枚(たぶん毛布は「アメリカンドリーム」やら「伝統」やらといったことだろう)で乗り切らなきゃいけない。でも乗り切れば「古き善き時代の価値観」にまた戻れるよ、という意味じゃないかと。(これとは別な解釈をハニーコミヤマとしていた。つまり死者が待つということは雪道は人生そのものであり、死者がまつ道のりという寒々しい光景からは例え「血と暴力の場所」から引退したとしても逃れられないのだという暗示ではないかというものだった)映画の公開は2007年。それと同じ年にオバマ氏は「チェンジ」を合言葉に出馬表明を行う。彼は新自由主義社会を否定し、「我々は出来る」といった。勿論彼は「古き善き時代の価値観へ」戻ろうとはいってないけれども、ケネディやルーズベルトの影を彼に見出す人々には「古き善き昔の強いアメリカ」を取り戻すように見えるかもしれない。どうしたらこの「汚わいと災厄にあふれた国」を変えられるのか?それは劇中で現実を変えられてしまった人間がいみじくも呟く「一個人の働きで状況が変化するようなものではない」ので「出来る限りのことをしていくしかない」のだ。ひとりひとりが。きびしい道、とんでもない道でも進み続ければ「冷たい闇の中を焚き火が待っている」。

というわけでほのかに明るい希望の持てるものに解釈してみた次第。さてどうでしょう?
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