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高1女子、母親に劇物?事件とグレアム・ヤング [予告された殺人の記録(殺人関連)]

高1女子、母親に劇物 ブログで“観察日記”、衰弱していく様子記述

静岡県伊豆の国市で県立高校一年の女子生徒(16)が劇物のタリウムを使って母親(47)を殺害しようとした事件で、女子生徒がインターネット上の日記「ブログ」に、タリウムを投与する経過や、衰弱していく母親の様子とみられる“記録”を公開していたことが一日、静岡県警少年課と三島署の調べで分かった。県警は押収したパソコンなどから、書き込みが女子生徒のものと断定。これを決め手の一つとして逮捕に踏み切っていた。女子生徒の心理状態などについても、県警は詳しく分析を進める方針だ。 女子生徒は八月中旬に「実験01日目」と題して毒劇物を投与したハムスターの観察経過を書き始めた。それと前後して、母親の全身に発疹(はっしん)が起きて体調が悪化していることや、「殆ど動けなくなってしまいました」などと、病状に関する記述を頻繁に書き込むようになった。八月下旬には自らも腹痛に悩まされていると書いたうえで、「原因は解っています。タリウムです」と記していた。 母親が入院する数日前には「母はよく泣くようになった。僕に“毒を造って欲しい”“誤って飲んだ事にして貰いたい”とぼやく」などと母親とのやり取りを紹介し、「自殺衝動が出始めたようだ」と冷淡な分析を加えている。  Yahoo!ニュースより



卒業文集に「尊敬する人はグレアム・ヤング」と書いたり、web上の一人称が「僕」だったりと痛いなとは思いますが。個人的には小動物殺しだの毒物だのに幻惑されがちではあるけれども、思春期の、よくある(といってはなんだが)反抗期が極端に肥大化したいわゆる親殺しの変形にすぎない、と思う。(親を殺したいほど憎んだ人も多いと思う。私もその一人)もし殺人衝動を抱えているシリアル・キラー的なサイコパスなら、家族全員、高校の同級生やらに毒を盛る、そういう人数を競うのではないだろうか。制圧できる人数は多ければ多いほどよい。

この女子高生像を勝手に妄想すると、自己顕示欲は激しく強いのに、地味でいじめられっ子な目立たない少女が、力にあこがれて、他者を制圧したいという衝動を、毒物という圧倒的な「力」を得たのち、小動物→母親と制圧したいポイントをランクアップしていった、ということだと思う。人から顧みられない自分→否、でも自分には価値があるはずだ→馬鹿な大衆どもには理解されない異端者としての恍惚、のように、コンプレックスが自己満足へシフトしていったしていった、そういう意味ではブログやらHPやらに、自分が摂取している向精神薬物名を列挙するようなメンヘラーと大して変わらないんじゃないだろうか。

まあそんな風に、犯人像やら被害者などを考えると、非常に女性的な犯罪であると思う。古来より毒殺といえば女性、という見方もあるわけだし。(そういう意味ではウィリアム・パーマーやドクター・クリーム、グレアム・ヤングなどの男性陣が珍しい方だといえる。特に男性は、殺人と性衝動が密接に結びつく、ある種の代償行為ともいえる場合が多いので、刺殺、絞殺撲殺の割合が強いのではないだろうか。ヨークシャーリッパーのピーター・サトクリフ、デュッセルドルフの殺人鬼ペーター・キュルテンなどが顕著であるが)男だ女だ式の話しはあまりしたくはないが、少なくともグレアム・ヤングのように、身近な人間を犠牲者に選んだのは「実験結果を観察し、それを記すのに都合がよかったからだ――毒殺魔にありがちな冷酷非情さからというよりも、科学者としての方法的厳密さのためと言ったほうがいい」(毒殺日記より)という理由ではないだろう。なぜなら毒物の実験としてでは被験者の数が少なすぎる。被験者が多ければ多いほど正確なデータが――毒殺者として名をあげるための――採取できるわけだから。

ではその“あなたの親愛なるフランケンシュタイン”(彼は手紙でこう自称していた)こと「グレアム・ヤング」について少しふれると。

グレアム・ヤング Graham Young
(↑リンク先は海外サイトだがかなり詳しく書かれている)

ヤングお気に入りのポートレート。
駅の自動撮影機でうつした際、
機械にだまされたと思って腹を立てた表情が
偶然撮れてしまったもの







再拘留時の画像。
非常に紳士的でエレガントな格好ですな。










1947年9月7日英・ロンドン北部生まれ。姉が一人いる。母親のマーガレットが妊娠中に胸膜炎を悪化させたため、虚弱児として誕生。マーガレットは結核からくる脊椎の潰瘍によりグレアムの生後三ヶ月で死去。父親が再婚する2歳半まで、親戚の叔母さんがグレアムの母代わりとなった。父親とはこの母親死去が絡んだことが原因だったのか、あまり仲はよくなかったらしい。9歳頃からナチズム(欧米のシリアルキラーに関する記述には必ずヒットラー関係がでますな。あとニーチェも)、化学に傾倒し始める。12歳の時点で既に素人とは思えないほどの専門的知識を保持していた。アンチモンの小瓶に「かわいい友達“リトル・フレンズ”」と名付け、肌身離さず持ち歩き、級友たちには「将来有名な毒殺魔になるんだ」と公言。13歳のとき、クラスメート、義母、姉、父親に毒を盛り、うち、義母が死亡。アンチモンとタリウムの中毒によるモノだった。裁判所による判決は、精神的失調をきたしているのでブロードムア病院(イギリスにある有名な触法精神障害者収容所施設)への収容が妥当というものだった。再犯性が高いという医師の助言に基づき、内務大臣による特別の承認がなければ15年間釈放されないという制約付きで。グレアムは1962年7月に収容された。
彼は施設において品行方正な模範囚として過ごす。そして症状が改善されたという担当医の助言を受け、内務大臣は3つの条件――決められた住所に住む、保護観察官の監督を受けること、外来患者として精神科医の診察を定期的にうけること――付きで釈放を許可。(施設過密化により改善された思われる患者はなるべく退院させるという方針があったようだ)1971年2月4日出所。
職業訓練所に通った後、ジョン・ハドランド社へ倉庫部門担当として就職。(ちなみに面接時、職業訓練所に通所する前はなにをしていたのか問われたグレアムは「母が交通事故で急死し、そのショックで精神衰弱に罹患し病院へ入院していた」と説明。彼はかなり芝居が巧かったらしく、前歴照会されることもなく面接を通過した)その後同社では謎の腹痛による患者が多発する。4人が重篤な症状のため入院し、二人は死亡。同社の招きにより、社員への聞き取り調査をしていた医師は異常に卓越した医学知識を保持している担当者に疑問を抱く。それがグレアム・ヤングだった。お気に入りのアンチモンとタリウムの中毒によるものであり、裁判の結果、彼は二件の殺人罪および二件の殺人未遂罪により終身刑、ほか二人に対する毒殺投与についてはそれぞれ5年の禁固が言い渡された。1990年8月、43歳の誕生日を2週間後に控えたヤングは、刑務所内において心臓発作を起こして死亡した、と伝えられる。(以上「毒殺日記」より抜粋要約)

グレアム・ヤング 毒殺日記

グレアム・ヤング 毒殺日記

  • 作者: アンソニー ホールデン
  • 出版社/メーカー: 飛鳥新社
  • 発売日: 1997/05
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

やっぱり読めば読むほど、グレアム・ヤングだの毒殺だのといった部分については、女子高生にとってひとつのテクニカルタームに過ぎないと思う。もしくは理由付けとか。手段のために持ち出してきた、そこに至る過程の外堀を埋めたにすぎない気がする。毒殺、それ自体が主たる目的、意味ではないのではないか。親殺しという目的があり、その理由付け的な部分としての毒殺であり、単に理論武装に過ぎないと思う。酒鬼薔薇聖斗とは似て非なる事件といえよう。冷静に観察というところがクローズアップされているが、それについても、イコールサイコパスの証明といった話しではなく、自身が発狂しないために冷静さを保つために行為を客体化し自分の現状と切り離すために、自意識を発露させていたに過ぎないのではないか。もし私が実際に誰かを毒殺するとしたら、このようになにかの記録に残さざるを得ないと思う。それはグレアム・ヤングが実際に記していた毒殺観察日記的意味合いではなく。女子高生もおそらくは私が抱いている感覚に似た感じでブログをやっていたのではないだろうか。
ちなみに女子高生のブログってこれかなhttp://blogsearch.plaza.rakuten.co.jp/search?qt=%A5%B0%A5%EB%A5%E0%A5%B0%A5%F3%A5%B7%A5%E5&rf=1&limit_url=
http://72.14.203.104/search?q=cache:fyAqj0eY8V8J:plaza.rakuten.co.jp/glmugnshu/+%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%82%B0%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5&hl=ja

ちなみに私もグレアム・ヤングの「毒殺日記」を所持しているし、殺人系の本は腐るほどもっているが(だまされて異口同音の本を何度買ったことかコリン・ウィルソン)、実際一度も殺人を犯したことがない。(冤罪で捕まったらどうにも言い逃れできない状況だな)そういう矮小な部分から語るのはアレだけれども、だからネット上や書籍での氾濫が、イコール殺人増加として規制されるのは反対である。人が人を殺すということは、ある種のジグソーパズルみたいなもので、誕生したときから少しずつ集めていく、決定的なパーツがどんどんと埋まっていくかどうかはそれこそ周囲の環境だの本人の特質によって決まっていくモノではないだろうか、そんな風に私は考えている。猫を殺したから警察へ相談するのではなく、猫を殺す前に既になんらかのサインをだしているはず(これまでの尊属殺人に至る多くのケースを見るにつけ)なのだからその前になんらかの手段を家族は講じるべきであったと思う。あなたの家族がフランケンシュタインになる前に。

まとめサイトあります。こちらもどうぞhttp://d.hatena.ne.jp/glmugnshu/

※11/9 追記

この事件に対し、興味本位だの、毒物知識を試したかっただのといった論調がワイドショーやなにかで報道されてますが、本当にそうなんでしょうかね。どうもその後の報道を見聞きするにつれ、一番最初に記事を書いたときの感覚とずれることはないのですけれども。別な方のブログ記事にもコメントしたのですが、この少女を特別視することは、思春期における親子の問題から目を遠ざける結果となり、ひいては「我が子は大丈夫」という根拠のない無意味な安心感を与えるだけとなるのではないでしょうか。金属バッドが毒物に変わった、それは単に身近だったからということに過ぎない気がします。グレアム・ヤングと決定的に違う点は、グレアムは毒殺がしたいから化学薬物に関する知識を深めていった、ただ彼女はどうやら実験が好きで、化学がまず好きだった、そこに周囲との軋轢やトラブルが重なりこのような結果になった、ということだとわたしは考えています。


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自殺サイト殺人事件とキラーフィクションの類似性 [予告された殺人の記録(殺人関連)]

連続殺人容疑者、手口似た小説ネットに  

インターネットの自殺サイトを利用した連続殺人事件で、逮捕された男が、事件前にホームページに書いていた小説をJNNが入手しました。女性を窒息死させるというこの小説、実際の犯行に極めて似ていました。  今年2月から6月にかけてインターネットの自殺サイトで男女3人を次々と誘い出し、殺害を自供した前上博容疑者(36)。  
前上容疑者がつくったと見られるホームページのタイトル、「ASPHYXIATION(アスフィクシエイション)」は、英語で「窒息」を意味します。この中には女性を次々と襲い、鼻と口を手でふさいで殺害するという小説が10ページあまりにわたって書かれています。  
被害者をすぐに殺さず、執ように窒息の苦しみを味わわせるというストーリーは、前上容疑者が最初に女性を殺害したときの手口と全く同じです。  ところで、前上容疑者は中学時代に江戸川乱歩の小説で人が口をふさがれて苦しんでいる挿絵を見て興奮を覚えたとも話しています。こうした小説をきっかけに、前上容疑者は自分の妄想を広げ、自分でも小説を書くようになったのか。警察は犯行の動機を調べるための貴重な証拠として分析を急いでいます。
                          (11日18:00)TBSニュースより 


日本もヨウヤクアメリカと肩を並べてきたということですかね。殺人で、ってことだけど。このニュースを見てとっさに連想したのがジェラルド・シェイファーというアメリカの殺人鬼について。シェイファーは同じように窒息に固執し、連続殺人を犯し、また同じように自分の“ファンタジー”を小説にしていた。なんとなく前上容疑者と顔立ちも似ているような気がするのは私だけだろうか。

Killer Fiction(G.J.シェイファーの画像。なんとなく似ている?)

Killer Fiction

  • 作者: G. J. Schaefer, Sondra London
  • 出版社/メーカー: Feral House
  • 発売日: 1997/06/01
  • メディア: ペーパーバック
(←そしてそのファンタジーの結晶である「キラー・フィクション」の原書版)
ジェラルド・シェイファーについて別冊宝島368「身の毛もよだつ殺人読本」では次のように述べている。
身の毛もよだつ殺人読本―血と精液にまみれた殺人鬼たち

身の毛もよだつ殺人読本―血と精液にまみれた殺人鬼たち

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 宝島社
  • 発売日: 1998/03
  • メディア: 単行本
“1973年、フロリダ在住の警官シェイファーは二人の少女の誘拐・暴行容疑で逮捕された。そこでおとなしくしていればいいものを、15000$の保釈金を積んで釈放されてしまったもんで調子に乗ったらしい。保釈中にまたも少女を誘拐し、殺害してしまうのだ。しかし、今回は少女の母親が車のナンバープレートを控えていた。裁判では彼がタンスにしまっていた殺人幻想小説が証拠としてとりあげられ、終身刑二度の判決に大きく寄与した。その点だけ取り上げると思想弾圧のように聞こえるが、実はたいした問題ではない。遺留品などからシェイファーの犠牲者は二人どころか20人以上になることはすでにはっきりしていたのだ。実際、彼の「小説」のうちいくつかは現実に対応する事件をもつことがその後の調査で明らかになってくる…”
(シェイファーについて詳しく知りたい方はコチラ。リンク先は英語サイトなので注意)
前掲書にはこのシェイファーの書いた殺人小説が特殊翻訳家柳下毅一郎氏によって訳されているので興味のあるムキは一読されてはどうだろうか。シェイファーの書いた小説には、こういう快楽殺人犯独特の女性を二分割する思想(聖女と売女しかいないとする)が濃厚に漂い、窒息という行為がどれだけ楽しくて素晴らしいかという教唆に満ちている。紹介されているのは僅か二編だが、シェイファーは『淫楽殺人』という究極の性行為に取り憑かれていたことがはっきりとわかる。淫楽殺人とは、相手が断末魔の苦しみもがく姿などでないと射精できない、それによって起こる殺人をさす。(早く射精すれば被害者は重傷ですむし、もしそうでないなら…)その時の絶頂感は通常の性的絶頂感とは比べものにならない、とされる。例えば一切自分の性器に接触せず・させずに勃起し、射精することが可能であるといわれる。そしてその強烈な性衝動はコントロールできないという。
今回の事件でももし容疑者が不能に近かったりすると、淫楽殺人の傾向がかなり強まる。そのような視点に立てば、容疑者の手口-すぐに殺さず何度も苦しみを味わわせるというのも理解できてくる。彼にとっては単に快楽をのばす作業なのだろうから。自らの性欲、性衝動を解消するにはこの方法しかなかったのではないか。わかっていてもまた罪を犯すという“システム”はこの人間の暗い淵、深淵から見つめられた者のこの不可解な性欲に由来するのであろう。供述にある「性欲がおさえられなかった」という言葉はアメリカの淫楽殺人犯ウィリアム・ハイレンズが犯行現場に書き残した言葉「頼むからボクをつかまえてくれ。これ以上殺す前に。自分ではどうすることもできない」を連想させる。この容疑者についてざっと考えるに、幼少期に貧困か虐待かいじめかで常にストレスと欲求不満を抱えざるを得ない状態におり、ちょっとしたきっかけで窒息という行為を知り、異常な執着心を抱きそれに固着し、やがてフェティシズムへと変化し、そして淫楽殺人にまで辿り着いてしまったのではないか。
このシェイファーのケースでなんとも不気味なのは、キラー・フィクションの共同執筆者の存在。前掲書から引用すれば“このソンドラ・ロンドンとはカレッジ時代の同級生である。シェイファーはソンドラの最初のボーイフレンドだった。ジャーナリストとなったソンドラと運命の再会をはたして…とか美しい話が序文に書いてあるが、実際にはどうだろうか。(中略)テッド・バンディ(筆者註:IQ160を誇ったアメリカの有名な連続殺人犯)なんかにせっせとラブレターを送ってようやく会えた!と喜々として書いているところを読む限り、どうも監獄グルーピーの姉ちゃんにしか見えない。”とのこと。アメリカにはこの手の犯罪者グルーピーというか、有名な殺人犯から手紙もらったり面会することに心血を注いだりする人びとが確かにいる。
さて、今回の事件、さすがに前上容疑者の小説はこういう“良き理解者”が現れて、ジェラルド・シェイファーのように出版されることなどないように思うが、はたして…。

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猟奇殺人犯にされた女(虎の女とイエロージャーナリズム) [予告された殺人の記録(殺人関連)]

名張毒ぶどう酒事件の再審が決定し、なんとも嬉しい限りです。かなり強引な捜査の犠牲になったのは、被疑者とされた人だけではなく、犯人を逮捕し無念を晴らせなかった被害者も同様だと思われます。冤罪といえば、私がいつも思い出すのがこの事件。以前アメリカで起こったある不幸な事件とそのことで人生を台無しにされ名誉回復も出来なった女性の話です。


虎の女またはトランク殺人者ことウィニー・ルース・ジャド(上の画像)事件は、アメリカという国とマスメディアを考える上ではずせない事件であると同時に、日本の阿部定事件が果たしたある種の役割を、担うハメになった不幸な事件であると思う。世が世ならば、こんな茶番じみた冤罪、起きるはずがない。いやそうであってほしい。

砂漠に囲まれた街、アリゾナ州フェニックス。
1931年10月16日金曜日、ウィニー・ルース・ジャドは、以前のルームメイトであり、同じ診療所に勤める親友、ヘドウィグ“サミー”サミュエルソンとアグネス・アン・ルロワ(共に評判の美人だった)を殺し、二人の死体をトランクに詰め(サミーはバラバラに切断して詰めた)、彼女の手荷物としてロサンジェルス行きの列車に載せる。荷物預け室に届けられた、引き取り手のないトランクからは嫌な臭いと赤黒い液体が垂れていた。不審に思った駅員があけ、事件は発覚。が、すでにウィニーは行方をくらましたあとだった。10日ほどたって、彼女は警察に捕まる。

逮捕当時の画像。痣が身体のあちこちにある。

若く美しい女がこれまた美しい「親友達」(これは婉曲的に同性愛等をほのめかした当時の表現の一つ)へ行った残虐な犯行!とマスメディアはセンセーショナルに報道する。そして告訴。彼女は死刑判決をうけた。ウィニー・ルース・ジャドの事件を伝える大抵の物語は、ここで終わっている。また、この事件を伝えるいくつかの本の中には、彼女が“電気椅子に座り「二人の所に行けるから幸せ」と話した”などと見てきたようなことを書いている。残虐な女はどのような末路をたどったのだろうか。どのように悔い改めながら、あるいはどんな修羅場を演じて電気椅子の上で絶命したのか?

否。彼女は死なず、生き延びたのだ。

刑執行の72時間前に心神喪失を申し立て、それが受け入れられ、悪名高いアリゾナ州立精神病院に38年11ヶ月22日収容されていた。その間幾度となく脱走し、6年ほど、外で暮らしていたこともある。

(左の画像はその6年後逮捕された時のもの)

66歳になり、ようやく仮釈放された。彼女には様々名前がつく。いわく「虎の女」「同性愛殺人者」「冷血漢」「トランク殺人者」「アメリカ史上初めての猟奇殺人者」等々。だがここで一番問題なのは、それら勇ましい名前が全て、彼女にはふさわしくない、当てはまらないということ。

つまり、彼女は冤罪だったのだ。

30年代当時、アメリカはもっと建前社会だった。殺された二人は街の有力者の“庇護”をうけていた。そしてその有力者と彼女は不倫関係にあった。街の人間はその事実を知っていた。だがそれを公言するヤツなどいなかった。よくこの事件を同性愛の三角関係のもつれで、と説明されていることが多いが、真相はそんなに簡単なモノじゃない。彼女は行きがかり上仕方なく、愛人の有力者にある女性を紹介した。その女性はウィニー達が勤務するクリニックの患者で、梅毒病みだった。そのことを二人に知られ、愛人に「梅毒持ちを紹介した」と告げ口すると脅され喧嘩になる。(梅毒の特効薬が発見されるのは10年もあとのことで、当時の梅毒は現在のエイズよりももっとおそれられた性病だった。罹患者を紹介することは関係の終了を意味した。)売り言葉に買い言葉で、二人が同性愛関係にあることを、自分たち三人が勤めている診療所に暴露する、と彼女が言った。それと放射線技師であるアンが診療所から一ヶ月間の自宅待機を命ぜられた際、放射線照射量をあげて、人体に危害が加わるようにしたことも。激高したアンがルースに銃を向け、サミーがアイロンで襲いかかる。格闘が続き、気がつくと二人が倒れていた。彼女は愛人である有力者に連絡する。
「あとは全てやっておく。また連絡する」
そのあと、彼女は鞄を持ってロスへ高飛びするよう愛人に命令され…、
あとは上に記した通りの結末となる。

(右画像は拘束直後のルース・ジャド)

彼女は「虎の女」と、ハースト流イエロージャーナリズムから洗礼名をつけられ、まだ捕まっていない段階にも関わらず、彼女が真相を激白したとする告白記事が連日紙面を踊った。当時ロスアンジェルスタイムスに殴り込みをかけたハースト、部数が伸び悩んでいたがその起爆剤として彼女は体よく利用されたようなものだ。(ハーストは彼女が上訴できるよう弁護士をつけ、その費用を負担した。功名心の塊には珍しく、彼はそれを公表しなかった。)警察もろくに裏をとってない情報を記者達に垂れ流した。スクープ合戦は加熱し、そこには被害者・加害者ともに人権なんてモノは存在してなかった。テレビはなく、ラジオも普及してない時代、嘘だろうが捏造だろうが、新聞に載ったことはまごうことなき「事実」だった。1930年代という暗い時代に、彼女は格好のネタを提供した状態だった。ちょうど、戦時中の世相にある種の明るさを提供した阿部定事件のように。
後年フェニックスの歴史家はこう記した。
「ウィニー・ルース・ジャド事件は大恐慌を忘れさせた」
警察が証拠を捜す前に、やじうまでぐしゃぐしゃにされた犯行現場。証言者は公然と圧力をかけられ、調査報告書などの公文書も提出されなかったり、書き換えられたりと、かなりいい加減な扱いを受ける。公正な裁判を経たとはとても言い難い有様だ。死体を解体したのは、有力者がよく、愛人や斡旋した女達の中絶をする時に使っていたとされる医師だったと言われる。(当時は中絶が非合法で、施術された方もした方も厳罰に処された。医者は金のために引き受けていたとはいえ、そのことでかえって有力者にいいように使われる存在となっていたらしい。)彼は「真相を告白する」と周囲に話し、彼女の弁護士を訪れる約束をした前日に、謎の死を遂げる。心臓麻痺、と公式見解にはあるが、右手にナイフを握ったままの死は公式見解とは別の意味を私に投げかける。
そして彼女が所持していたのは違う口径の弾丸が致命傷となったサミーの死体。
その意味も。

事件の後、愛人は事業に失敗し、養老院で死んだ。彼女を公正な裁判にかけなかった検事は州知事まで上り詰めたが、選挙で敗れ、職を失った。

ウィニー・ルース・ジャッドは今も生きているかもしれない。

※参考資料は以下の本です。

人体切断

人体切断

  • 作者: ジェイナ ボーマズバック
  • 出版社/メーカー: 中央アート出版社
  • 発売日: 1996/07
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • (↑の本、レビュー書いているのは私だったりします…スンマセン)


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虎の女(冤罪とイエロージャーナリズム) [予告された殺人の記録(殺人関連)]

3a
の女

またはトランク殺人者こと
ウィニー・ルース・ジャド(左の画像)事件は、
アメリカという国とマスメディアを考える上ではずせない事件であると同時に、
日本の阿部定事件が果たしたある種の役割を、担うハメになった不幸な事件であると思う。
世が世ならば、こんな茶番じみた冤罪、起きるはずがない。いやそうであってほしい。
砂漠に囲まれた街、アリゾナ州フェニックス。
1931年10月16日金曜日、
ウィニー・ルース・ジャドは、以前のルームメイトであり、
同じ診療所に勤める親友、ヘドウィグ“サミー”サミュエルソンと
アグネス・アン・ルロワ(共に評判の美人だった)を殺し、
二人の死体をトランクに詰め(サミーはバラバラに切断して詰めた)、
彼女の手荷物としてロサンジェルス行きの列車に載せる。
荷物預け室に届けられた、引き取り手のないトランクからは
嫌な臭いと赤黒い液体が垂れていた。
不審に思った駅員があけ、事件は発覚。
が、すでにウィニーは行方をくらましたあとだった。
10日ほどたって、彼女は警察に捕まる。

5a
逮捕当時の画像。
痣が身体のあちこちにある。

若く美しい女がこれまた美しい「親友達」
(これは婉曲的に同性愛等をほのめかした当時の表現の一つ)へ行った残虐な犯行!と
マスメディアはセンセーショナルに報道する。そして告訴。彼女は死刑判決をうけた。
ウィニー・ルース・ジャドの事件を伝える大抵の物語は、ここで終わっている。
また、あるサイトには彼女が“電気椅子に座り「二人の所に行けるから幸せ」と話した”
などと見てきたようなことを書いている。
残虐な女はどのような末路をたどったのだろうか。
どのように悔い改めながら、あるいはどんな修羅場を演じて電気椅子の上で絶命したのか?

否。彼女は死なず、生き延びたのだ。

刑執行の72時間前に心神喪失を申し立て、それが受け入れられ、
悪名高いアリゾナ州立精神病院に38年11ヶ月22日収容されていた。
その間幾度となく脱走し、6年ほど、外で暮らしていたこともある。

9a
(左の画像はその6年後逮捕された時のもの)

66歳になり、ようやく仮釈放された。
彼女には様々名前がつく。
いわく「虎の女」「同性愛殺人者」「冷血漢」「トランク殺人者」
「アメリカ史上初めての猟奇殺人者」等々。
だがここで一番問題なのは、それら勇ましい名前が全て、
彼女にはふさわしくない、当てはまらないということ。

つまり、彼女は冤罪だったのだ。

30年代当時、アメリカはもっと建前社会だった。
殺された二人は街の有力者の“庇護”をうけていた。
そしてその有力者と彼女は不倫関係にあった。街の人間はその事実を知っていた。
だがそれを公言するヤツなどいなかった。
よくこの事件を同性愛の三角関係のもつれで、と説明されていることが多いが、
真相はそんなに簡単なモノじゃない。
彼女は行きがかり上仕方なく、愛人の有力者にある女性を紹介した。
その女性はウィニー達が勤務するクリニックの患者で、梅毒病みだった。
そのことを二人に知られ、愛人に「梅毒持ちを紹介した」と告げ口すると脅され喧嘩になる。
(梅毒の特効薬が発見されるのは10年もあとのことで、
当時の梅毒は現在のエイズよりももっとおそれられた性病だった。
罹患者を紹介することは関係の終了を意味した。)
売り言葉に買い言葉で、二人が同性愛関係にあることを、
自分たち三人が勤めている診療所に暴露する、と彼女が言った。
それと放射線技師であるアンが診療所から一ヶ月間の自宅待機を命ぜられた際、
放射線照射量をあげて、人体に危害が加わるようにしたことも。
激高したアンがルースに銃を向け、サミーがアイロンで襲いかかる。
格闘が続き、気がつくと二人が倒れていた。彼女は愛人である有力者に連絡する。
「あとは全てやっておく。また連絡する」
そのあと、彼女は鞄を持ってロスへ高飛びするよう愛人に命令され…、
あとは上に記した通りの結末となる。(右画像は逮捕され身体検査を受けるルース・ジャド)

彼女は「虎の女」と、ハースト流イエロージャーナリズムから洗礼名をつけられ、
まだ捕まっていない段階にも関わらず、
彼女が真相を激白したとする告白記事が連日紙面を踊った。
当時ロスアンジェルスタイムスに殴り込みをかけたハースト、部数が伸び悩んでいたが
その起爆剤として彼女は体よく利用されたようなものだ。
(ハーストは彼女が上訴できるよう弁護士をつけ、その費用を負担した。
功名心の塊には珍しく、彼はそれを公表しなかった。)
警察もろくに裏をとってない情報を記者達に垂れ流した。
スクープ合戦は加熱し、そこには被害者・加害者ともに人権なんてモノは存在してなかった。
テレビはなく、ラジオも普及してない時代、
嘘だろうが捏造だろうが、新聞に載ったことはまごうことなき「事実」だった。
1930年代という暗い時代に、彼女は格好のネタを提供した状態だった。
ちょうど、戦時中の世相にある種の明るさを提供した阿部定事件のように。
後年フェニックスの歴史家はこう記した。
「ウィニー・ルース・ジャド事件は大恐慌を忘れさせた」
警察が証拠を捜す前に、やじうまでぐしゃぐしゃにされた犯行現場。
証言者は公然と圧力をかけられ、調査報告書などの公文書も提出されなかったり、
書き換えられたりと、かなりいい加減な扱いを受ける。
公正な裁判を経たとはとても言い難い有様だ。
死体を解体したのは、有力者がよく、
愛人や斡旋した女達の中絶をする時に使っていたとされる医師だったと言われる。
(当時は中絶が非合法で、施術された方もした方も厳罰に処された。
医者は金のために引き受けていたとはいえ、
そのことでかえって有力者にいいように使われる存在となっていたらしい。)
彼は「真相を告白する」と周囲に話し、
彼女の弁護士を訪れる約束をした前日に、謎の死を遂げる。
心臓麻痺、と公式見解にはあるが、右手にナイフを握ったままの死は
公式見解とは別の意味を私に投げかける。
そして彼女が所持していたのは違う口径の弾丸が致命傷となったサミーの死体。
その意味も。

事件の後、愛人は事業に失敗し、養老院で死んだ。
彼女を公正な裁判にかけなかった検事は州知事まで上り詰めたが、
選挙で敗れ、職を失った。

ウィニー・ルース・ジャッドは今も生きているかもしれない。
(詳細はコチラで↓)


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